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旅行記; 情報の発信、提供

Koheiがゲートを抜けてから、初対面の女の子2人と私の3人という異様な状況になったが、それでも3人でお喋りを続けて、楽しい時間を過ごすことができた。疲れてきたら座って、そしてまた立って、そんなことを繰り返していた。とにかく寒さと疲労で体力を奪われる。
そして1時間、2時間と経過していったが、いつまでたってもKoheiは戻って来なかった。きっと最初に逸れてしまったもう一方のグループに合流して楽しんでいるのだろうと推測していた。
そうして、残り3時間、2時間、1時間と刻々と2013年の終わり、そして2014年を迎える瞬間が近ずいてきた。この時間になってくると、スパイダーマンの手袋やらNavyの帽子やらがゲート付近から投げ込まれる。それをもらおうとする人がゲートに手を伸ばし、詰め寄る様子はまさにバイオハザードのゾンビの様で、異様な光景だったが面白かった。
正直、この真冬に外で立ったまま、10時間以上待機するのはかなりクレージーである。一番しんどいのは寒さ!そして2番目は尿意の不安!それに疲労と空腹がさらに過酷さを増幅させている。

そしてHappy New Years!!の瞬間。

10,9,8、、、3,2,1..わー!!!!!
周囲の興奮状態は最高潮で、奇声が上がっている。鼻吹雪が散ってきて、2014年の幕開けを最高にクレイジーなこの場所で感じることができた。この瞬間のための10時間。たしかに達成感があった。

そうして5分もしないうちに人の流れに乗って、駅に向かった。カウントダウンが終わった後も規制はいたるところでされており、通れないストリートがあったり、極端に狭い通路は完全に押しくらまんじゅう状態で、人に押されて進んでいく感じであった。
やっと人ごみを抜けても、ストリートが封鎖されていて通れず、引き返したり、そんなことをしているうちに刻一刻と最終電車の時間に近ずいてきて、最終的には駅までダッシュで向かうこととなった。しかもこのとき今まで耐えていた尿意が安心感とともに一気に襲ってきて、立ションを本気で覚悟した。
しかし、どの通りも人で溢れていて、人通りが少ない道でも全く人がいないというところはない。影になりそうな場所も全くない。
必死に尿意を我慢して、駅にダッシュした。ようやく駅に着くと結構すんなりトイレを発見することができた。しかし、さすがに大晦日のNY男子トイレにも列ができていた。みんな何時間も尿意を我慢していたのだからそれもそのはずである。なんとか耐えれて無事に用を足すことができた。
しかし、ゆっくりしている暇はなかった。この時すでに最終の電車の時間まで残り10分程度、プラットホームを探している暇もないので、係員にいち早く聞き、早歩きでホームに向かった。間一髪電車には間に合い無事に乗車することができた。
乗車するとすぐに電車は動き出し、一気に安心感と疲労感が体に襲いかかってきた。

下車するべき駅名を覚えていたはずだったが、疲れのせいかあいまいになっていた。そして焦って1つか2つ手前の駅で降りてしまった。降りた瞬間にあれ、なんか違うくないかと思ったが、電車はすぐに扉を閉めていってしまった。最悪だ。。。
と思っていたが、案外すぐに同じ方向の電車がすぐにやってきた。電車はまだあったようだ。
あとから聞いた話では、女の子2人も普通にバスで帰れたらしい。タイムズに行って夜中に帰宅する人が多いからこの日だけはイレギュラーなスケジュールでバスも電車も運航しているのかもしれない。
そして次の電車でようやく目的の駅にたどり着いて、そこからはエアートレイン。空港のターミナル間を無料で走っているモノレールである。
地理的感覚ではこのモノレールの最終の駅まで行って、そこから歩けば滞在先のホテルまで行ける予定だった。しかし、いざ最終の駅まで行くとそこはだだっぴろい駐車場でどこが出口で、歩いて出られるかも謎だった。ほんの少し駐車場をさまよったが、あまりの広さと寒さ、疲労ですぐにターミナルの駅に引き返し、どうにかWifiを拾って滞在先のホテルまで帰る方法を探ろうと考えた。
しかし、そのターミナル駅の係員が声をかけて来てくれて、このホテルまで帰りたいんだがどうすれば帰れるか尋ねると、このモノレールで最初に降りた駅の次の駅のところまでもどってそこからシャトルバスに乗れるとのことだった。本当に親切な人がいて良かった。
また来た道を引き返さないといけなかったが、無料のモノレールに乗るだけなので、まぁしょうがないかと外を歩くよりは断然マシだった。
最終のその駅には私とその親切な係員以外にもう一人乗客がいた。その人は酔っているのかかなり意味不明な言動で、係員も困惑している様子だった。
かなり避けたかったが、同じ車両に乗り合わせてしまい、その人は乗車するや否や携帯をなくしたようで焦ってポケットをチェックしていた。その人はなんどもドアが閉まるのを妨げ、なかなかモノレールは発車できなかった。結局、その人は次の駅で降りてしまい、無事帰宅できたのか謎のままであった。

なにはともあれ、無事シャトルバスが出ているという駅まで戻ってきた。降りてすぐに係員にどこからバスに乗れるか聞くともうすぐに出るから急いで下の階に降りなさいと言われ、降りると本当にいくつかのシャトルバスが、待機していてその中に行きに乗ったシャトルバスも見つけることができた。
本当に出発直前で急いでシャトルバスにかけより、ドアを開けってもらった。その晩の中はもうほとんど人でいっぱいで、一番後ろの席が1つだけ空いているようだったのでそこに向かうと、その横の席にはKoheiの姿があった。

12月31日大晦日

そして約束の時間の少し前に図書館に到着して、図書館の中を見学した。この図書館はスパイダーマンやSex and the Cityのロケなどでも使われており、豪華な建築物も有名である。ほんの少しの時間しか見れなかったが、多くのニューヨーク市民で埋め尽くされていた。こんな図書館なら毎日通いたくなるのもわかる。日本にもこういう図書館ができたらいいのだが。
そうしてトイレを済ませ(超重要)、図書館の前で待ち合わせしていた友達Satoko(この子はトロントで一回だけ会って一緒にパブに行ったので面識があった)と合流した。今回はSatokoの友達の友達ぐらいまで来てかなりの大所帯になっていた。おそらく10人ぐらいにはなっていたんじゃないだろーか。
そうしてそろそろタイムズスクエアに向かおうかという時にKoheiの別の友人のYayoiとその友達Mayuが図書館にやってきた。だいぶ集合時間より遅れてはいたが、一緒に行くことに。しかしトイレに行ってくるとのことで、さらに待たなければならなかった。私と友人のKoheiはその時間でもあまりに早すぎるんじゃないかと思っていたので、全然焦っていなかったが、Satokoはタイムズスクエアの場所取りで焦っているようであった。ようやく図書館から2人が戻ってきて、出発したが、2人が見えた瞬間に他の連中は速足で歩きだしたので、あっという間に見失ってしまった。

しかし、我々は男2人の状況に女の子2人が加わったので、十分に心が弾んでいた。
タイムズスクエアに近づくにつれ、だんだん人が多くなっていく。本来はこれから先の飲み食いは一切ご法度だが、女の子2人は能天気で途中のカフェに寄って、飲み物とマフィンを買っていた。そして、結局4人でなんとか人に揉まれながらもタイムズスクエアのゲートの中に入ることができた。
このときKoheiは人が良いのか悪いのか、ゲートに入りそびれて一瞬はぐれるかとも思ったが、一時してまたゲートが開かれ、Koheiは無事合流することができた。

この時、時刻は午後2時半ほど。これから、夜中の0時まで9時間半の戦いが始まるのである。実際、寒さと空腹とそしてなにより尿意に耐えられるかかなり不安だった。
それでもとにかくここからは耐えるしかないので、最初はおしゃべりして楽しんでいたが、女の子2人はかなり寒そうですぐに座り込んでしまった。
服装は我々男よりはるかに着こんでいた上に、ホッカイロまで持っていたのにそれでも寒かったらしい。結局女の子2人は2時間も経たないうちに離脱を宣言し、ゲートから出ていってしまった。まさかの男2人に逆戻りになったしまった。最悪のパターンである。KoheiはSatoko達と行けばよかったなどと愚痴をこぼしていたが、それでも2人でなんだかんだ話して時間はようやく6時を回ろうかとしていたころだった。

女の子2人YayoiちゃんとMayuちゃんが視界に入った。一度ゲートを出たら最後、もう二度と戻って来れないと聞いていたのに、彼女たちは奇跡的に戻ってきたのであった。
ほんとうに奇跡的な再開だった。聞いていた話よりもゲートはかなり緩いようであった。他の人もゲートを超えてきたり、すり抜けて入ってくる人が何人かいた。戻ってくることは不可能ではないようだった。

それからまた1時間か2時間かして今度はSatokoが見えて声をかけた。向こうもこっちを探していたようだった。そしてKoheiに一緒にカフェまでいかないかと言って、Koheiもゲートは簡単にくぐり抜けられるだろうと思い込んでいたので、Satokoと韓国人の友人そしてKoheiの三人でゲートを出て行った。

後から聞いた話では、Satoko達はあれだけ焦って先に行ったにも関わらず、我々よりも後ろの位置にいたらしい。どうやらスムーズにタイムズスクエアのゲートまでたどり着けなかったようだ。

おそらくだが、タイムズスクエアから7番街とブロードウェイは封鎖され、ブロックごとにゲートが組まれている。そしてタイムズスクエアに近い方からゲートが開かれ、一杯になると次のゲートが開かれていく仕組みだ。なのでもうすでに一杯になっているゲートのストリートに6番や8番から入ろうとしてもさらに北のストリートへ回るように指示される。そうすると7番街まで来ているのにまた、6番や8番に引き返してから北上しなければならないので、そうしている間にかなりの時間を食ってしまう。
良い場所取りは、かなり早めの時間に来ること(おそらく昼の12時)そして今どのストリートのゲートが開いているのか見極める能力が重要である。

異なる銀行での現金の引き出し手数料(TD Bank in USA)に関して

そんなこんなでなんとかダウンタウンまで到着した。約束の時間は1時半。その時間まではまだ余裕があったので、少し図書館の周りを見て回ることにした。
この時まで、現金を持ち合わせていなかったので、どうしても現金を手に入れたかった。いくらアメリカがクレジットカード社会だからといって現金を全く待ち合わせていないと至るところで不便な思いをする。屋台やバスの運賃も現金だし、そもそもバスでは基本的にお釣りが出ないから細かい$1札や小銭も持ち合わせている必要がある。チップも基本現金で支払いするし、小さいCafeなどはクレジットカードが使えても$5以上からといった制限があったり、そもそも使えないところも結構ある。アメリカはクレジット社会だから現金は必要ないというのは嘘である。なんだかんだいって実社会ではまだまだ現金が強い。
事前に調べた結果によるとBMOバンクの支店もニューヨークだけには存在していた。さすがはニューヨークと思っていたのだが、結局調べた住所の場所にはBMOのオフィスはあったが、支店ではなく銀行業務は行っていなかった。ということは、BMOの銀行に預けてある現金はそう簡単に引き落とせないということである。
日本と一緒で違う銀行で引き落としをするとお金の移動に手数料が取られることにはなるが引き落としは可能なはずである。
そこでTD BankのATMで引き落としすることにした。TD Bankは前述したが、カナダをメインに展開しているカナダの銀行で、アメリカの東海岸にも多数の支店を展開している。カナダの銀行であれば、アメリカの銀行よりも容易に安価で現金の引き出しが可能であるだろうと読んで、TD Bankを選んだのだ。
しかし、結局TD Bankの受付で手数料を聞いたところ、TD Bank以外のカードを使う場合はATMを使うだけでATM使用料が$3ほど徴収され、さらに銀行間の現金送料がかかるとのこと。しかし銀行にもよるのか現金輸送料がかかるのか教えてくれなかった。
ATMでは普通に現金の引き出しはできた。なんの表示もなかったのでもしかしたら、手数料はかからなかったのかもしれないと期待したが、後からカードの明細で確認すると結局$20以上取られていた。
ちなみに街の両替屋で手持ちの$70のカナダドルをUSドルに両替するといくらになるか聞いたところ、同額の$20程度手数料で持って行かれるとのことだった。

Newark AirportからNewYorkダウンタウンまでの移動手段に関して

ニューヨークからの帰りのバスの中でたまたま隣になった中国人の女の子とたまたま同じホテルでバスを降りてから一緒にホテルまで歩いて行った。ホテルはNewark Airportのすぐそばにあるホテルで駐車場を取り囲むように2階建ての部屋が並ぶモーテルタイプのホテルだった。建物は古く、そんなにきれいでもなかったが、二人で泊まるには十分の広さで、特にバスルームが異様に広かった。
そのホテルに着いてからKoheiと初めて日本語で喋った。今まではずっと英語でしゃべり続けてきたのだった。英語縛りから解放された瞬間だった。なんだか新鮮だった。そうして寝るまで喋り続けて、気が付くと自然に寝ていた。
そこからはずっと日本語で話すようになった。やはり日本語の方が勝手が良い。英語でも意思疎通はできるが、やっぱり細かいとこまでは伝えられない。ニュアンスが伝わらない。言いたいことが、しっかり言えない。英語の上達のためには英語で会話することは絶対だが、英語でしゃべるだけで気付かないうちにかなりのストレスが溜まっていくのも事実だ。
実際、この後からKoheiとの関係は劇的に改善した。

翌日は大晦日。2013年最後の日である。
この日は年明けのその瞬間のために、昼過ぎからタイムズスクエアに並ぶ予定になっていた。ニューヨークのタイムズスクエアでの年越しは最も過酷だという話は有名であるが、いかがなものか...不安も抱きつつ、我々は待ち合わせ場所のニューヨーク市立図書館へと向かった。
このホテルの近くのバス停からダウンタウンまでバスが出ていて、だいたい30分くらいである。昨日もこのバスで帰ってきた。しかし、この日は大晦日タイムスケジュールもかなりイレギュラーになっていることが容易に想像できた。
そしてこのホテルからはNewarkの空港まで無料のシャトルバスが出ていた。そして空港からは電車でもダウンタウンまで行くことができるとわかったので、少し考えてから、その方法で行ってみることにした。
空港までは5分もかからない程度で本当にすぐそばだった。そして、このNewarkの空港ではAir Trainなる無料のモノレールのようなものが各ターミナルを運航しているのだが、まずは改札でニューヨークまでのチケットを買って、それからこのAir Trainのホームまでエスカレーターで上り、Air Trainの最終地点まで向かう。所要時間は10分程度。
そしてその駅で降り、別の路線に乗り換えるのだ。そんなに難しいことはなかった。
親切な黒人の女性がホームまでナビゲートしてくれた。この人は電車が好きで電車の旅をするらしい。行先は聞き取れなかった。。。
ちなみにダウンタウンまでは往復で、$25だった。バスは$13でそれでも高いと思っていたのに、電車は$25。実際ホテルまで戻ってバスで行こうかとも思ったくらいだ。
しかし、帰りのバスがあるのか。帰りは年が明けて深夜の時間帯になるのは容易に想像ついていたので、万が一帰れなかった場合のことを考えて安全策で、電車の往復を買うことにしたのだった。
そんなこんなでなんとかダウンタウンまで到着した。約束の時間は1時半。その時間まではまだ余裕があったので、少し図書館の周りを見て回ることにした。
この時まで、現金を持ち合わせていなかったので、どうしても現金を手に入れたかった。いくらアメリカがクレジットカード社会だからといって現金を全く待ち合わせていないと至るところで不便な思いをする。屋台やバスの運賃も現金だし、そもそもバスでは基本的にお釣りが出ないから細かい$1札や小銭も持ち合わせている必要がある。チップも基本現金で支払いするし、小さいCafeなどはクレジットカードが使えても$5以上からといった制限があったり、そもそも使えないところも結構ある。アメリカはクレジット社会だから現金は必要ないというのは嘘である。なんだかんだいって実社会ではまだまだ現金が強い。
事前に調べた結果によるとBMOバンクの支店もニューヨークだけには存在していた。さすがはニューヨークと思っていたのだが、結局調べた住所の場所にはBMOのオフィスはあったが、支店ではなく銀行業務は行っていなかった。ということは、BMOの銀行に預けてある現金はそう簡単に引き落とせないということである。
日本と一緒で違う銀行で引き落としをするとお金の移動に手数料が取られることにはなるが引き落としは可能なはずである。
そこでTD BankのATMで引き落としすることにした。TD Bankは前述したが、カナダをメインに展開しているカナダの銀行で、アメリカの東海岸にも多数の支店を展開している。カナダの銀行であれば、アメリカの銀行よりも容易に安価で現金の引き出しが可能であるだろうと読んで、TD Bankを選んだのだ。
しかし、結局TD Bankの受付で手数料を聞いたところ、TD Bank以外のカードを使う場合はATMを使うだけでATM使用料が$3ほど徴収され、さらに銀行間の現金送料がかかるとのこと。しかし銀行にもよるのか現金輸送料がかかるのか教えてくれなかった。
ATMでは普通に現金の引き出しはできた。なんの表示もなかったのでもしかしたら、手数料はかからなかったのかもしれないと期待したが、後からカードの明細で確認すると結局$20以上取られていた。
ちなみに街の両替屋で手持ちの$70のカナダドルをUSドルに両替するといくらになるか聞いたところ、同額の$20程度手数料で持って行かれるとのことだった。

2013,12,30 ニューヨーク到着(Laggage Storage Lockerに関して)

ニューヨークに到着してから、まず荷物を預けるためにバスの中で調べておいた”Laggage Storage Locker”という荷物預かり屋に向かった。バスの到着場所は7Ave28thそしてその預かり屋は8-9Ave36thだった。大きめのスーツケースを引っ張って歩くのはかなりしんどいが、歩けない距離じゃない。Koheiもそこまで付いて来てくれるという。なにも手伝ってくれるというわけではなかったが、まぁ1人で行くよりは心強かった。
そしてなんとか店を発見。ぼろい建物の一部に入っているようだった。入り口はかなりマリファナ臭が漂っていた。預かり屋自体は2階にあるので入口入ってすぐのエレベーターを使って2階まであがる。
細い廊下に何人か観光客がいた。”知る人ぞ知る”的な場所のようだった。そして廊下の奥に受付が、その奥に沢山のスーツケースやバックパックが保管してあった。
料金は1つ1日$7-10で最大でも$10だからそれ以上ぼられることはない。営業時間は8時から23時まで。それまでに預けた荷物を取りに来ないといけない。スーツケースとリュックを預けたので、それぞれ$10と$7で合計$17だった。ちなみに現金のみでカナダドルは使えないのでご注意を。お金を払うと紙のタグをつけられ、切り取ったもう一方のタグをもらえる。これで受け取るときに番号を照合するのだ。

トイレもぼろいが一応使えるので、我慢できないような時は助かる。

以下”Laggage Storage Locker”ホームページ
http://www.schwartztravel.com/


そうして身軽になってから、観光に。こっからは別行動だ。夜7時にロックフェラーのセンターのフロントで待ち合わせだった。
ここからは初めてのニューヨーク一人旅である。さすがニューヨーク大都会で通りは人でごった返している。少し東京の雰囲気を感じた。でも建物は古い煉瓦造りのビルも多く(特に8や9Aveは)まさに映画の中という感じを味わうことができた。

そうして右も左もわからないながらも、ダウンタウン中をぶらぶらと歩きまわって、タイムズスクエアや図書館付近、ユニオン駅、5th Streetなどを歩いて見て回った。
タイムズスクエアは大みそか前日のこの日も人でごった返していたが、明日の交通規制の準備が着々と進められているようであった。そして図書館の裏側。ここは公園になっていて夏は青い芝にみんな寝転がって本を読んだり、のんびりと過ごせるようになっているようなのだが、今は屋外スケートリンクが設置されてあって、多くの子供連れやカップルが2013年最後を楽しんでいた。そしてスケートリンクを囲むようにしてCafeや小さな雑貨店などの屋台がいくつも軒を連ねていて、お祭りのような雰囲気も感じれた。
この公園の道を挟んで、紀伊国屋という日本の本屋がある。前々からどうしても購入したい本があったので、もちろんそこにも立ち寄った。明日も図書館前に集合の寄っていだったのでその前にここに寄ることもできると考えたのだが、大晦日は閉店している可能性も考えて今日のうちにあわてて向かったのであった。(ちなみに大晦日も営業していた)
それともう一つ行きたかったところは、ユニクロである。バンクーバーやトロントにはまだ進出していないユニクロもニューヨークには出店している。
紀伊国屋にユニクロとニューヨークに来てまで、と思うのだが、やはり日本人はどこまで行っても日本人で、やはり日本のクオリティーを求めてしまうものなのである。
ちょっと海外のユニクロがどのようなものなのか興味もあった。ちなみにニューヨークには無印良品も進出しているようである。今回は時間がなく行かなかったのだが。

そうして、いるうちに約束の待ち合わせ時間が近ずいてきたので待ち合わせ場所のロックフェラーセンターに向かった。ロックフェラーセンターはいつもクリスマスの時期に巨大なクリスマスツリーが設置されることで有名である。そのため、通りの方まで人でごった返していた。この人ごみの中でKoheiと再開するのは不可能だと思った。そのくらいの人ごみだった。私はカナダで契約していた携帯に旅行プランというものを加え、1カ月だけ通話100分、メール100通までという制限付きでアメリカでも利用できるようにしていた。しかしKoheiは携帯すらもっていないのだ。もし会えたら奇跡だと思った。しかし一応、人をかき分けてビルの目の前までなんとかたどり着いた。当然Koheiの姿は発見できなかったが...でもしばらくするとKoheiの姿を奇跡的に発見することができた。こうして再開し、二人で夕食を食べ、荷物を受け取り、この日はホテルに戻ったのであった。長い1日だった。

2013,12,29 トロント出発 (入国審査地獄、MegaBusに関して)

Koheiとはバスターミナルで待ち合わせだった。11時発とかで10時15分にターミナルで待ち合わせの提案をしたのだが、Koheiがもっと早く着ておくべきだと主張したため待ち合わせ時間は10時だった。しかしやつはその時間に現れなった。結局10時半まで待って痺れを切らして先にバス乗り場に向かうことにした。
ニューヨーク行きのバスもkoheiが予約してくれたのだが、E-チケット(メール)を転送してくれていたので、最悪Koheiが乗り遅れたとしても1人で先に向かうことは可能だったのだ。
しかし、30分もターミナルで待ちぼうけしたせいで、すでに長蛇の列ができていた。そうして列に並んでいると、のこのことその列にやつはやってきた。特に弁解をするわけでもなく、謝るでもなく、ターミナルを探していたと...ほんとうに呆れたやつだ。この時かなり嫌悪感が増していた。そしてこうして列の後ろになったせいで、座席は1階のトイレの前、後方ドアのすぐ前という最悪の位置に席取りすることになった。
このことが後に最悪の結果を招くことになった。

 

バスは思いのほか早く、国境に到着した。時刻は夜中の1時この入国審査さえ無事に通過すれば、ニューヨーク到着まであとは寝て過ごすだけである。

アメリカの入国審査は審査員の態度が非常に横柄であるため、私は入国審査が大嫌いである。そして今回はアメリカへの滞在予定期間が1カ月と長期間だったため、無事通過できるか非常に不安であった。案の定なんでそんなに長期滞在する必要があるのかと聞かれ、ニューヨークからロサンゼルス行きの航空券と出国の航空券を提示しなければならなかった。そしてこの時見せたEチケットが日本語表記だったため、英語じゃないじゃない!っとより一層不機嫌な表情を見せた。しかし、それでも出国の日付を確認すると、無事に通過することができた。

地獄はここからである。

無事に通過できてホッとしてバスに戻ると、バスの中は完全に冷え切っていた。外は氷点下でバスのエンジンは切ってあるため、中は真っ暗、そしてほとんど外と変わらないような気温、とにかく耐えるしかなかった。
いくら寒いとはいえ、入国審査が終われば、バスは出発するのだ。バスの人数分の審査が終わるのを待つだけである。最長でも1時間も待てば全員分終わるだろうと...しかし、結局この国境で4時間以上待機することになる。
いくらバスの中が寒いからといって、空港のようにロビーや室内の待機場所もない。ひたすらエンジンの切られた極寒のなかで4時間耐えたのである。
もう二度とトロントからニューヨークへのバスを利用することはないだろう。いくら系税的な問題があっても次は絶対飛行機を利用しよう。そう心に誓った。

国境越えの長距離バスは1人でも入国審査に引っかかると、その人が通過できるまで全員バスで待たなければならない。よくよく考えるとかなりのリスクである。しかも、季節や国によっては今回のような極寒の中で待機するといったような事態も想定される。

明け方になってようやくバスは出発した。予定到着時刻は午前10時30分。そのため、一端ホテルに向かい荷物を預けてから、半日観光するという予定だった。しかし、国境での予想外の待機時間により結局ニューヨークに到着したのは午後4時ごろだった。

MegaBasにはWi-fiが設置されていると謳っているが、実際はカナダでは機能せず、アメリカ側に入ってからようやく使えるようになる。電波もそんなに強くはないので通信速度は低い。Wi-fiは使えないと思っていた方が賢明である。これは、バンクーバーシアトル間でも同様である。
しかし、なんとかその微弱Wi-fiを駆使した結果、ニューヨークには荷物を預けられる場所が存在することがわかった。到着時刻が午後4時なのでホテルに戻って荷物を預けていたら観光することはできない。なので到着したらまず、そこに向かって荷物を預けて観光することにしたのである。


2013,12,29 トロント観光5日目(Kensington, Harberflont)

この日は朝から荷物の整理だ。チェックアウトしなければならないからだ。
なんとか朝食とチェックアウトを済ませて、荷物を預けた。このホステルはチェックアウトした後も1日までなら荷物を預かっていてくれる。日本のようにコインロッカーが普及していない海外では非常に助かる。
kensington Marketはこのホステルの隣の通りだった。数メートル歩くとKensington Marketの入り口に辿りつく。Kensington Marketは個性的な店が多かった。おもしろい雑貨屋やカフェがたくさんあった。いかにも女子が好みそうなストリートである。
そして歩いていると、中国語の看板が目立ってきていつの間にかChaina Townに入る。Knesington MarketとChaina Townは隣り合っているのである。
しかし、バンクーバーで見慣れていたChainaTownは特に見どころもなく、早々に後にした。今日は昨日のうちに場所を調べておいたトロント大学の図書館にも行ってみることにした。リトライである。
無事に図書館には辿り着いたが29日だけ休館日ということで、中を見学することはできなかった。なんとも不運である。
それから、King stationを経てHarberflontに向かった。
Union StationからHarberflontまで特に標識などもないので、手元のGoogle Mapのスクリーンショットと勘のみが頼りである。案の定迷ってしまいかなり駅周辺を彷徨ってしまった。それでもなんとかHarberflontまでたどり着いた。
このころにはすでに空腹が限界に達していた。ありがたいことに小規模のショッピングモールがあり、わずかではあるがレストランも入っていた。その中で、中華料理の店を選んだ。別に中華料理が食べたかったわけではないが、他の店はフードコート形式の店で2店舗しかなかった。この中華料理屋は一見高級そうな感じだったが、値段はランチタイムということもあってか割とリーズナブルで、$12程度だった。このレストランはモールの2階に海側に位置しており、海を一望できる。
味も量も大したことないが、景色がいいのとWi-fiが使えたので良しとする。Wi-fiの有無で評価が増減するなんてネット天国の日本では考えられない。
食事をしてなんとか落ち着いたので、その辺を散策することに。Herberflontと言っても何があるのか全く知らない。
しかし、ちょっと歩くと"The Power Plant"とかいう煉瓦造りの建物が現れた、なかは歴史博物館のような感じだったが、入場料がいるようだったので、今回は中を通り抜けるだけにした。何しろ今回の旅行は貧乏旅行なので、できるだけ旅費は削らなければならない。そういう意味でもKoheiの家に居候することができなかったのは痛手だったが、初めてのホステル体験ができたことを考えれば、それはそれで良かったかもしれない。

話を戻すと、Harberflontは海沿いにウッドデッキが長く続いており、そこには雪が積もっていて、海辺も氷が張っているといういかにも冬国らしい景色が続く。スケートリンクやアート系の雑貨屋などもあってぶらぶら散歩するにはなかなか楽しめるポイントであった。
ウッドデッキがうねった様な珍しい形をした場所“Simcoe Wave Deck"もあったのだが、今は雪で滑って危険なためか、残念ながらフェンスで閉鎖されていて中には入れなかった。
そこから、Union stationまで徒歩で戻り(まぁまぁな距離である。ほんとうはバスに乗りたかったのだが、上手くバス停を見つけることができず、そうしているうちに駅までたどり着いてしまった。)
そして次は”The Distillery"と呼ばれる煉瓦作りのオシャレなエリアである。中はアート系のものが多い、実際工房もあって作品を買うこともできるようになっていた。他にもオシャレな雑貨屋や有名なチョコレート屋など非常に楽しいショッピングスポットである。煉瓦造りなので街の雰囲気もオシャレで、特に日が落ちてくるとシンプルなイルミネーションがより一層オシャレな雰囲気を醸し出していた。
雰囲気はなんとなくバンクーバーのイーエルタウンやガスタウンに似ていた。値段は基本的にかなり高めの設定なので、ぶらぶらと見て回る程度にしておくのが適当かと思う。

そしてまた徒歩で”Lawrence Market"に向かった。ここは駅まで行く途中にあるので帰宅途中に立ち寄ったという感じだ。しかしすでに時間は6時を回ろうかとしている時だったため、、完全に片付け清掃モードだった。ここは市場のようなところで、そもそも朝市とかをやっているような市場なので、この時間にもうやっていないのは当然と言えば当然である。外観だけ写真に収めて、駅に向かった。
ちなみにこのあたりは最初に泊まったホステルの側に位置していた。ホステル周辺で目的地を探すのも効率的に観光地を回る一つの手である。
今回はいろいろと学ぶことがあった。
いよいよトロントを後にして、ニューヨークへ旅立つ時が近ずいてきた。
宿泊していたホステルに戻り(すでにチェックアウト済みであったが、荷物を預けてあったのでそれを取りに行く必要があったのだ)荷物を受け取った。この時点でまだ、7時前後、出発は11時だったので、このままターミナルに向かってはかなり時間を持て余してしまう。ホステルのスタッフにロビーで時間を潰していいか尋ねると了承してくれた。ここはWi-fiが使えるし、荷物の整理もできて、疲労困憊の体に湿布を貼ることもできた。ほんとうにありがたかった。そこでニューヨークの観光地などいろいろと必要事項を調べて3時間ほど時間を潰した。
ツアーや事前にかなり緻密に計画を立てた場合以外、かなりのことを調べなければならない。今回の旅行で改めてこのことを思い知った。調べ物以外にもホテルの予約やレンタカー予約、その他アクティビティーなどもパソコンがあれば、クレジット決済でその場で予約できる。なのでパソコンは旅には必須である。
次はもっと持ち運びのしやすいMacAirなどを買おうと心に決めたのもこの旅中のことであった。